十七世紀、ハンガリーの首都ブダペストを含む東ヨーロッパ一帯はオスマン帝国に支配されていた。
伝説によると、メフメットというトルコのパシャ(高級官吏)がハンガリーの美しい水汲みずくみ娘を見初めて、自分のハレムに連れ去った。
パシャの庭園に閉じ込められた娘は、あらゆる種類の植物に親しむようになった。その中に大きな赤い実をつけるつる性植物があり、トルコ人たちはその実を挽ひいて粉にして料理のアクセントにしていた。娘はこんなにおいしいものを食べたことがなかったので、こっそり種を集めた。
ハレムにはパシャが非常事態に備えて掘らせていた秘密の抜け穴があり、娘は毎夜その抜け穴を通って、恋仲だった農民の少年と密会していた。
あるとき娘が少年に種を渡し、少年が種をまくと、一年後、ブダペストの町と近郊の農村部にパプリカが生えた。それからハンガリー人はこのあたらしいスパイスを利用するようになったという。その後トルコ人たちはハンガリーを追われたが、パプリカは国を代表するスパイスになった。
かつてハンガリーの大半は、今日のトルコ共和国の前身であるオスマン帝国の領土でした。
現在でもハンガリーにいくと、市場は真っ赤なパプリカで溢れています。愛される食材、パプリカについての伝説です。
参考文献『スパイスの歴史』(2014) フレッド・ツァラ(著),竹田 円(翻訳)