十七世紀、ハンガリーの首都ブダペストを含む東ヨーロッパ一帯はオスマン帝国に支配されていました。 伝説によれば、トルコの高官がハンガリーの美しい水汲みの娘に一目惚れし、彼女を自分のハレムに連れ去ったと言われています。 高官の庭園に閉じ込められた娘は、あらゆる種類の植物と親しむようになりました。 その中には大きな赤い実をつけるつる性植物があり、トルコの人々はその実を挽いて粉にし、料理にアクセントを加えるために使用していました。
娘はこれほど美味しいものを食べたことがなかったため、ひそかにその植物の種を収集しました。
ハレムには、高官が非常事態に備えて掘らせた秘密の通路が存在し、娘は毎夜その通路を通って、彼女の恋仲だった農民の少年と密会していました。
ある日、娘は少年にその種を渡し、少年がそれをまくと、一年後にはブダペストの町と近郊の農村地域にパプリカが生えたと言われています。
その後、ハンガリー人はこの新しいスパイスを広く利用し始め、パプリカは国を代表するスパイスとなりました。
かつてハンガリーの大半は、今日のトルコ共和国の前身であるオスマン帝国の領土でした。
現在でもハンガリーにいくと、市場は真っ赤なパプリカで溢れています。
愛される食材、パプリカについての伝説です。
「パプリカの秘密」配色変えです。黄色い方はもう少し黄緑です。ワンカラー+黒。秋冬カラー 優しげに pic.twitter.com/g5tH8NYgQO
— 芝崎るみ・ハイパーキモノクリエイター/ルミロックの人 (@rumixdesign) October 8, 2023